今、九州から家に帰ってきたさ。
まさか、こんな今日帰ってくるとは思ってなかったさ。
おばばとお別れをして帰ってきました。
生きたおばばとは、会えず終いでした。
僕の最愛のおばばが、8月1日の14時46分に入院先の病院で74歳で亡くなりました。
1日の夕方の新幹線で帰って、2日にお見舞いに行く予定だったんだけどね。
出発前におばばの死を知ったら、僕がショックで無事に来れない可能性があると思ったみたいで、僕が九州に着いたのを確認して母からメールで伝えられた。
母からは、単なる腸閉塞としか知らされてなかったから聞いた瞬間は全く実感がなかった。
6月半ばから入院してたらしい。
末期癌だったらしい。
大腸癌から腸閉塞を起こして、最後には脳に癌が転移して、3日前には目が失明して、ひどい状態だったみたい。
当初はまだ4~5年、、その後は数ヶ月もつということだったみたい。
僕は初孫で一番かわいがってもらってたし、おばばっ子だったからで、放心状態だった。
実際に、未だに信じられない。
母親もおじもおじじも、みんなおばばの死に目には間に合わなかったらしい。
おばばの存在は大きすぎた。
1日の23時過ぎに鳥栖の式場に到着して遺体に会った瞬間、顔は、痩せこけてはいたものの、まだ起きてきそうなぐらいキレイだった。
でも、手を見たらマネキンの手みたいに真っ白になってて力が抜けた。
その時初めて、現実を知った。
その日は、親戚みんなが寝て、祖母の遺体の前に行ったら、涙が一気に出てきて一人でずっと泣いていて気づいたら2日の朝になってた。
身近な人の死は生まれて初めてだっんだけど、あっけないね。
何もおばば孝行できなかったんが悔しい。
2年前の夏から会ってなかったからね。
僕と会わなくなって痴呆が出てきつつも、ずーっと僕に会いたいとかこっちに来たいって言ってたみたい。
神戸に幼なじみもいたらしいしね。
で、2日の昼に、一度式場からおじとおばばんちに寝に帰ったんだけど、祖母の生活の後がそのまま残ってた。
玄関に入った瞬間、今にもおばば出てきそうな感じでいろんな事が頭によぎったね。
おばばがいないおばばんちは、考えられなかった。
そして、2日の夕方に、通夜式の前に化粧をして白装束を着た姿を見た時には、さらに力が抜けた。
係の人が体を洗う前に、お湯をタオルの上からおばばの体にかける時や棺に入れる瞬間は、心臓がつぶれそうだった。
三途の川を渡るのに持たせるお金で、僕が最後のおばば孝行として、千円入れた。
今までの感謝を込めてね。
一番大好きな人だった。
24年間一度も嫌いになったことがなかった唯一の人やった。
ずーっと世界一大好きだった。
それにしても、化粧をしたおばばの顔はほんとに美しかった。
おじじが一目惚れしたのも当たり前だ。
夕方の通夜式でもずっと泣き通して、通夜式後には、次の日の葬式と火葬を迎えると考えたら、それだけでも潰れそうで怖かった。
で、通夜式後に棺に入れる手紙を書いた後は、2日間泣き疲れていつの間にか寝てしまったね。
泣き過ぎて、顔を腫れてたし、頭も痛かった。
で、3日の朝に起きておばばの遺体の方を見たら、祭壇の中央の一番上の明かりがピカピカしててね。
その後に、葬儀前に一人で祖母の遺体に向かって話しかけてた時には、おばばの足元の祭壇の明かりがピカピカした。
2日の通夜式の前もピカピカしてたけど、単なる偶然やと思ってた。
でも、僕以外は誰も見てないみたい事だったから、おばばは僕を見ててくれてるんやかなって嬉しくなった。
ちょっと気が楽になった。
笑顔で送って、祖父と母親をしっかり支えなあかんて思ったね。
だから、葬式の時は、泣かなずに笑顔で祖母の遺影を見てた。
もう謝るのはやめよう、ありがとうの言葉で笑顔で送り出そうってね。
腸閉塞になった後は、人工肛門も着けたし、食事もとれなくなった。
その後、癌が脳に転移した後は目も失明したらしいから、ほんとに苦しかったと思う。
だから、よく頑張ったねって思いで、ずっとおばばの笑顔の遺影を見た。
僕も笑顔で。
自分が大好きで、おしゃれで写真映るんが好きだったし、良い意味でプライドも高くて我慢強かったからこそ、しんどかったやろなーてほんとに思った。
目が失明しても、目を開けて見えてるふりをしてたらしいし、自分の体の一部となった人工肛門も一切見たかったらしい。
だから、僕達にそういう姿を見せずに、一人で死んじゃったんかな。
おばば、ほんとによく頑張ったよ。
でもね、火葬後に骨になった姿を見た時にはやっぱり泣いてしまったね。
おばばの骨を持って、おばばがいない母の実家に行った時もしんどかった。
おばばそっくりの、おばばの姪のおばさんが、おばばんちで用意して待っててくれた。
そのおばさんが、玄関で僕達を迎えてくれる姿を見た瞬間、おばばやって思ってビックリした。
それぐらい若い時のおばばにそっくりだった。
綺麗な人だった。
ほんとに、おばばの孫で幸せやった。
おばばは、僕を自慢の孫ってみんなに言ってたらしいけど、僕にとっても世界一自慢のおばばだったよ。
晴子(せいこ)って名前やってね、名前の通り晴れが似合う人やったんよ。
仏様での名前にも、晴という文字を取ってあった。
だからボクシングのトランクスに晴という字だけでも入れたい。
僕の子供にも、この字をもらいたい。
絶対に僕の中にいると思うからね。
昨日の葬式の時に気づいたんだけど、おばばの誕生日は、昭和9年3月28日だった。
僕は、昭和59年8月23日。
328と823で逆だし、9も一緒。
今日の朝に一人で久留米の実家で祖母と撮った写真とか見てたんだけどね。
そん時にも、また部屋の電気がピカピカなったんさ。
やっぱり僕の中におばばはいるに違いないさ。
僕が獣医学科に受かったんを喜んでみんなに自慢してたらしいから、頑張らなあかんな。
獣医師の資格取って、製薬方面に進んだとしたら、癌とかアルツハイマーの特効薬を作ったら喜んでもらえるかもしれないね。
そして、最後の化粧したおばばの顔が母そっくりだったから、母をおばばの分身やと思って大事にしていきたいね。
今日の朝は、その母が泣いているのを見て辛くなったから、父に託して早めに帰って来た。
母の前では涙は見せたくなかったからさ。
でも、駅まで見送りの父と二人で歩いてる時は、どんどん涙が出てきた。
そして、久留米からおばばんちの最寄り駅の鳥栖駅までの景色をみたら、もっと涙が出てきた。
おばばは何回もこの景色を見て、ニコニコしながら僕に会いに来てたんやろうなって思ってさ。
新大阪に着いた瞬間も、一気に張り詰めてた緊張の糸が切れてしまって、どんどん涙が出てきた。
立ち直るんにはまだまだ時間がかかりそうだけど、しっりしないとね。
ボクシングに勉強にしっかり頑張らないと。
おばばの通夜式も葬式も、どっちも満員だった。
おばばの人柄がにじみ出てた。
みんなに愛されていたおばばだった。
僕達4人の孫以外からも、『おばば』って呼ばれて愛されてたらしい。
僕もおばばみたいなみんなに愛される人間になりたいね。
ほんとに、おばばありがとう。
これからも自慢の孫として、ずっとよろしくね。
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