反省中のZULELE。

2009年9月12日 (土)

爆発の後は炎上。

今日の競馬は、今までにないぐらいの大炎上だった。

笑うしかないな。


ちょっと、傲慢になってたな。

得意な阪神だからと言っても、初心を忘れてはいけないね。

もう少し頭を使わないと。

単調な攻めになってしまった。

『心・技・体』、一つでも欠けたら、競馬はダメなんさ。


今日は、さっき競馬エイトを買いに行ってきたし、再び家に引きこもって、明日の予想さ。

心をしっかり込めて予想する。

おばばに手紙を書いて、身も清めないとね。


明日は、確実に勝ちにいきたい。

思いきって、明日は、午前の勝負は全部捨てる。

午後に懸ける!

敢えて、明日は、11時に起きる。


ただ、現時点で一つ言える事がある。

明日の、セントウルSの本命は、、、、、

カノヤザクラ with 小牧太。

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2009年6月14日 (日)

最大危機・・・・・・・・

絶望的なzuleleさぁ。。。

テストヤバ過ぎる・・・・・・

遊び過ぎたかな。。。。


暗記はやっぱり苦手さ。

高校の時は、プリント50枚程度でも一晩で全部覚えられたんだけど。

頭を打たれ過ぎたせいか、最近は月に1回ぐらいしかそういうモードにならないんさーー。

競馬と同じ。

そろそろそういう脳みそになって欲しいんだけど。


水曜日まで寝れるんかな・・・・・

困った。

火曜日はスパーリングもあるんに。。。


それはそうと、スカパーのTBSチャンネルで、2年前の昼にあってた『砂時計』の再放送があってるんだけどね。

このドラマにはハマッててね。

何回見てもいいね!!

なんか、島根弁が懐かしいし、早く出雲に行きたくなってきた。


でーーー、、、ドラマのDVD-BOXを楽天で購入!!

全部で61話あるんだけどね。

これはイイよ♪


そんな事はどうでもいいんだけど。

取り敢えず、今から馬券を買って、勉強モードさ・・・・・・

なんくるないさぁ~って言いたいんだけどね。


昨日、ふと思ったことがある。

人間がいる分、人生がある。

でも、一つ言える事は、どんな事が起ころうが、時は流れる。

それはひどく虚しい事かもね。

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2008年12月 3日 (水)

早くも世間は年末。

今日は、インフルエンザの予防接種に行ってきた。

これで、今年も心配無いさぁ!


家に帰って来てテレビを付けたら、FNS歌謡祭ってのがあってた。

で、気づいた事。

2003年から僕の中の時間は止まってる。

僕自身、進歩が無いみたい。

この曲、去年かな!って思ったら、3年前だったり。

2003年というと、僕は19歳。

今もあまり変わらない。

まぁ、いいさ。


そうそう。

過去の映像で、夏川りみが首里城をバックに歌ってるのを見て、沖縄にまた行きたくなった。

藤原氏とやすとも氏とね。

勿論、チェリー春田氏の案内で。

沖縄は、食い物は勿論、なんか空気とか雰囲気が落ち着くんさ。

将来、ぜひぜひ住みたいね。


ってか、FNS歌謡祭の最後に、もう年末の挨拶のようなことを言ってた。

まだまだ12月になったばっかりやん!!!

なんか、世間ではクリスマスムードだけど、僕はクリスマスで馬鹿みたいに気にしたり、はしゃいだりしてる奴を見て、気持ち悪くて仕方が無い。

なんか大袈裟過ぎるような気がしてね。

ケーキ屋さんがはしゃぐなら、もっともの事だが。


まぁ、僕は、クリスマス云々より、『忘年会』という名目で、のんべーライフを楽しむさ。

男塾の忘年会に、藤原氏+やすとも氏+みかん氏(前のジムの同い年4人)の忘年会に、ジムの忘年会に、上横手さんの店の忘年会・・・・・

九州に帰っても、2ヶ所ぐらい計画中。

なにかと大変なのさ。

・・・・・・・・・・・・・・・

まぁまぁ、忘年会一発目は、13日にある男塾の忘年会。

すき焼きらしいよ!

参加者は乞うご期待!!

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2008年8月22日 (金)

23歳を振り返って。

今日で、23歳が終わりさ。

明日で24歳。

自分の中では、見た目も中身も19歳なんだけどね。

ここまで嬉しくない悲しい誕生日は初めてだ。


23歳を振り返って・・・・

いろいろあった。

獣医になるとか99%思っても無かったし、前のジムを辞めるとも思ってなかったし。

人生何が起こるか分からない。

結果的にはどっちも悪くは無かったんだろうけどね。

医者になって金持ちになるという計画が潰れたのは痛かったけど。


でも、、、やっぱり、おばばとの別れが一番ショックだった。

これさえ無ければ、久し振りにいい年だったかもしれない。

まさか、もうおばばに、笑顔で、『けーちゃん、お誕生日おめでと!』って言われなくなるとは思ってもなかった。

それを考えるとやっぱり涙が出てくる。


まだ最近でも泣いてしまう。

全くショックは癒えない。

夜もいろいろ考えて眠れない。

頭を使ってたり、誰かと話してるときとかはいいんだけどさ。

でも、一人になるとやっぱり考えてしまう。

チャリをこいでる時とかは、ボーっとして事故りそうにもなる。


おばばがこの世にいなくなっても、何事も無く世の中が動いてるのがほんとに虚しいというか悔しい。

今、自分がおばばのいないこの世に生きてるってのが未だに受け入れられない。

2年も会えてなかったし、おばばが入院してること自体、死ぬ数日前に初めて知らされたからね。

単なる腸閉塞としか聞いてなかったし、心の準備も全く出来てなかった。


明日で、無事に24歳を迎えるわけだけど、これも全ておばばのお陰。

だから、明日は、お参りに行く。

おばばに、『無事に24歳になったよ。ほんとにありがとね。』って言いに行く。

鷲さんの家が浄土真宗のお寺だから、鷲さんのお寺にね。

前々から、ちょっと頼んでたんさ。

快くOKしてもらえたし、ほんとに感謝。

これから、毎年、僕の誕生日は、おばばにお礼を言いにお寺に行くつもりだ。

これは、一生続けたいと思う。


ほんとに、僕の今があるのは、全ておばばのお陰だからね。

今からノートにおばばに23歳最後の僕からの手紙を書こう。

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2008年8月 4日 (月)

おばば。

今、九州から家に帰ってきたさ。

まさか、こんな今日帰ってくるとは思ってなかったさ。


おばばとお別れをして帰ってきました。

生きたおばばとは、会えず終いでした。


僕の最愛のおばばが、8月1日の14時46分に入院先の病院で74歳で亡くなりました。

1日の夕方の新幹線で帰って、2日にお見舞いに行く予定だったんだけどね。

出発前におばばの死を知ったら、僕がショックで無事に来れない可能性があると思ったみたいで、僕が九州に着いたのを確認して母からメールで伝えられた。

母からは、単なる腸閉塞としか知らされてなかったから聞いた瞬間は全く実感がなかった。

6月半ばから入院してたらしい。

末期癌だったらしい。

大腸癌から腸閉塞を起こして、最後には脳に癌が転移して、3日前には目が失明して、ひどい状態だったみたい。

当初はまだ4~5年、、その後は数ヶ月もつということだったみたい。

僕は初孫で一番かわいがってもらってたし、おばばっ子だったからで、放心状態だった。

実際に、未だに信じられない。

母親もおじもおじじも、みんなおばばの死に目には間に合わなかったらしい。

おばばの存在は大きすぎた。

1日の23時過ぎに鳥栖の式場に到着して遺体に会った瞬間、顔は、痩せこけてはいたものの、まだ起きてきそうなぐらいキレイだった。

でも、手を見たらマネキンの手みたいに真っ白になってて力が抜けた。

その時初めて、現実を知った。


その日は、親戚みんなが寝て、祖母の遺体の前に行ったら、涙が一気に出てきて一人でずっと泣いていて気づいたら2日の朝になってた。

身近な人の死は生まれて初めてだっんだけど、あっけないね。

何もおばば孝行できなかったんが悔しい。

2年前の夏から会ってなかったからね。

僕と会わなくなって痴呆が出てきつつも、ずーっと僕に会いたいとかこっちに来たいって言ってたみたい。

神戸に幼なじみもいたらしいしね。


で、2日の昼に、一度式場からおじとおばばんちに寝に帰ったんだけど、祖母の生活の後がそのまま残ってた。

玄関に入った瞬間、今にもおばば出てきそうな感じでいろんな事が頭によぎったね。

おばばがいないおばばんちは、考えられなかった。


そして、2日の夕方に、通夜式の前に化粧をして白装束を着た姿を見た時には、さらに力が抜けた。

係の人が体を洗う前に、お湯をタオルの上からおばばの体にかける時や棺に入れる瞬間は、心臓がつぶれそうだった。

三途の川を渡るのに持たせるお金で、僕が最後のおばば孝行として、千円入れた。

今までの感謝を込めてね。

一番大好きな人だった。

24年間一度も嫌いになったことがなかった唯一の人やった。

ずーっと世界一大好きだった。

それにしても、化粧をしたおばばの顔はほんとに美しかった。

おじじが一目惚れしたのも当たり前だ。


夕方の通夜式でもずっと泣き通して、通夜式後には、次の日の葬式と火葬を迎えると考えたら、それだけでも潰れそうで怖かった。

で、通夜式後に棺に入れる手紙を書いた後は、2日間泣き疲れていつの間にか寝てしまったね。

泣き過ぎて、顔を腫れてたし、頭も痛かった。


で、3日の朝に起きておばばの遺体の方を見たら、祭壇の中央の一番上の明かりがピカピカしててね。

その後に、葬儀前に一人で祖母の遺体に向かって話しかけてた時には、おばばの足元の祭壇の明かりがピカピカした。

2日の通夜式の前もピカピカしてたけど、単なる偶然やと思ってた。

でも、僕以外は誰も見てないみたい事だったから、おばばは僕を見ててくれてるんやかなって嬉しくなった。

ちょっと気が楽になった。

笑顔で送って、祖父と母親をしっかり支えなあかんて思ったね。


だから、葬式の時は、泣かなずに笑顔で祖母の遺影を見てた。

もう謝るのはやめよう、ありがとうの言葉で笑顔で送り出そうってね。

腸閉塞になった後は、人工肛門も着けたし、食事もとれなくなった。

その後、癌が脳に転移した後は目も失明したらしいから、ほんとに苦しかったと思う。

だから、よく頑張ったねって思いで、ずっとおばばの笑顔の遺影を見た。

僕も笑顔で。

自分が大好きで、おしゃれで写真映るんが好きだったし、良い意味でプライドも高くて我慢強かったからこそ、しんどかったやろなーてほんとに思った。

目が失明しても、目を開けて見えてるふりをしてたらしいし、自分の体の一部となった人工肛門も一切見たかったらしい。

だから、僕達にそういう姿を見せずに、一人で死んじゃったんかな。

おばば、ほんとによく頑張ったよ。


でもね、火葬後に骨になった姿を見た時にはやっぱり泣いてしまったね。

おばばの骨を持って、おばばがいない母の実家に行った時もしんどかった。

おばばそっくりの、おばばの姪のおばさんが、おばばんちで用意して待っててくれた。

そのおばさんが、玄関で僕達を迎えてくれる姿を見た瞬間、おばばやって思ってビックリした。

それぐらい若い時のおばばにそっくりだった。

綺麗な人だった。



ほんとに、おばばの孫で幸せやった。

おばばは、僕を自慢の孫ってみんなに言ってたらしいけど、僕にとっても世界一自慢のおばばだったよ。

晴子(せいこ)って名前やってね、名前の通り晴れが似合う人やったんよ。

仏様での名前にも、晴という文字を取ってあった。

だからボクシングのトランクスに晴という字だけでも入れたい。

僕の子供にも、この字をもらいたい。

絶対に僕の中にいると思うからね。

昨日の葬式の時に気づいたんだけど、おばばの誕生日は、昭和9年3月28日だった。

僕は、昭和59年8月23日。

328と823で逆だし、9も一緒。

今日の朝に一人で久留米の実家で祖母と撮った写真とか見てたんだけどね。

そん時にも、また部屋の電気がピカピカなったんさ。

やっぱり僕の中におばばはいるに違いないさ。


僕が獣医学科に受かったんを喜んでみんなに自慢してたらしいから、頑張らなあかんな。

獣医師の資格取って、製薬方面に進んだとしたら、癌とかアルツハイマーの特効薬を作ったら喜んでもらえるかもしれないね。

そして、最後の化粧したおばばの顔が母そっくりだったから、母をおばばの分身やと思って大事にしていきたいね。


今日の朝は、その母が泣いているのを見て辛くなったから、父に託して早めに帰って来た。

母の前では涙は見せたくなかったからさ。

でも、駅まで見送りの父と二人で歩いてる時は、どんどん涙が出てきた。

そして、久留米からおばばんちの最寄り駅の鳥栖駅までの景色をみたら、もっと涙が出てきた。

おばばは何回もこの景色を見て、ニコニコしながら僕に会いに来てたんやろうなって思ってさ。

新大阪に着いた瞬間も、一気に張り詰めてた緊張の糸が切れてしまって、どんどん涙が出てきた。


立ち直るんにはまだまだ時間がかかりそうだけど、しっりしないとね。

ボクシングに勉強にしっかり頑張らないと。

おばばの通夜式も葬式も、どっちも満員だった。

おばばの人柄がにじみ出てた。

みんなに愛されていたおばばだった。

僕達4人の孫以外からも、『おばば』って呼ばれて愛されてたらしい。

僕もおばばみたいなみんなに愛される人間になりたいね。


ほんとに、おばばありがとう。

これからも自慢の孫として、ずっとよろしくね。

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2008年6月 4日 (水)

物忘れ。

人生、そういい事ばかりではありません。

今日、あれから6時半に今日3コ目のレポートが仕上がり、逸る心を抑えてジムへ行った。

今、ディフェンス面の課題が見つかって燃えてるzuleleですから~♪


で、、、ジムに入って着替えようとしたところ・・・・

あら・・・

ヘッドギアある、グローブある、バンテージある、替えのパンツもある、バスタオルある、アミノバイタルある。

でも、、、、

短パンとTシャツとカッパが無いさ・・・・


さぁ、困ったさ。。。

パンツ1枚でやるわけにもいかないし、、、、

って事で、今日は練習する気満々だったのに、ジムでの滞在時間3Rで、早々と退散しました。

先輩のスパーリングをちょっと見学したぐらい。

こう見えて結構、凹んでます。

まぁ、今日練習できなかった分、明日の朝、走るとしよう。


それにしても、最近、物忘れが激しい。

今日帰ったら、朝出した特大うんこを流し忘れてたし。

人の名前も出てこない時が多々あるし。

でも、こういう忘れ物はよくあることかな。

小学校の時は、家や学校によくランドセルごと忘れてたしね。

昔から忘れっぽいzuleleです。

F1000028

・・・・・何かと大変です。

自覚症状が無いから、周りの人達はもっと大変なのかもしれません。


今から、『ボケ防止+小銭稼ぎ』の仕事を片付けるとしよう。

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2008年3月 8日 (土)

複雑な試験。

今日は、滑り止めの試験を受けてきた。

化学科をね。

化学だけは誰にも負けないぐらい得意だしね。

誘いもある事だし、予備校講師になって稼ぐのもありかなって思ったり。


、、、で、受けてきたものの・・・・

後味悪い終わり方だった。


いつも通り、順当に落ち着いてこなせて、確実に午前中の1発目の理科も2つとも満点の手応え。

得意の化学と物理だからね。

数学は少々難しかったものの、英語でしっかり稼げて、合計で85%は固いデキ。


答案回収の時に周りの受験生の答案を見たところ、空欄だらけ・・・

なんか、今まで医大を考えてただけのもあって、拍子抜けというか、気持ちが大いに萎えてしまった。

試験後に知ったのだが、僕のセンターの点数だったら、45%取れば確実だったらしい。

午前中の理科2科目でほとんど決まってたってわけだ。


んーー。。。

周りの受験生とかがどうのこうのじゃなくて、、、

うまく言葉では言い表しにくいけど、今までやってきた事を考えるとなんかねー・・・

自分自身に対してすごく悔しい。

気持ちの面でスッキリしない。


気持ちが揺れていないと言ったら嘘かもしれない。

取り敢えずは、全部終わらせようかな。

これからの身の置き方は、それからゆっくり考えるとしよう。

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2008年3月 7日 (金)

春遠し。

昨日、医者で金持ちになるという野望が潰えました。

この1年は、予備校に練習にバイトにフル回転で、怠け過ぎたつもりもないんだけどね。

ゼロだった生物も2ヶ月で9割まで仕上げたし。

人生そう甘くは無いようです。

センター試験の国語で大失敗したから、正直言って、1月末の時点で結果は決まってたんだけど。

受験校を予定から大幅に変えることになったし。

二次試験でも、単科大独特の英語での大崩壊で、トドメを刺された感じだったしね。

国語と英語に散々泣かされた受験生活でした。

前期から確実に獣医にしとけば良かったんかな~とも思ったり。


冷静に結果を受け入れるつもりだったんだけどいざとなったら、大きく動揺してしまうね。

精神的にまだまだ未熟なようです。

親にも一応伝えたものの、呆れられてるみたいで完全無視。

母との先日の電話では、前の大学卒業しとけばよかったのに、、、と本音を漏らされる始末。

困ったものだ。

母の言う意味も分らなくは無いんだけどね。

進学校に行ったせいか、同じ高校の人間は、みんな既に、医者か東大・早慶卒のエリートサラリーマンか官僚だらけで大変です。


もう1年って選択肢もあるかもしれないけれど、、、

もう年が年だし、ボクシングも集中的にやりたいしで、今回で終わりとします。

経済的な面でも無理極まりない。

人生もっと楽しみたいしね。

僕だけの人生でもないし。


さぁ、気を取り直して今から後期(競争率50倍の獣医学科)の勉強や!

、、、って思いつつ愛用してるI-PODを耳に突っ込むものの・・・・

この数年、これが僕の勉強のお供だったから、逆にしんどい。

流れてくる曲どれもが僕の勉強とセットだったから、今までのいろんな事を思い出してしまう。

困った困った。


この20数年で何一つ、結果を出した事が無い自分が情けないというか歯がゆい。

『♪ZULELEの春は~、何も無い春です~』(森進一の襟裳岬ふうに・・・)

ちょっと自虐的だけど、まぁ、笑って受け入れていくしかないね。

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